お笑い芸人「又吉直樹さん」の芥川賞受賞作(火花)で注目を浴びている純文学小説!
「沈黙」、「女の一生(一部)・(二部)」は、江戸期から昭和に至る長崎を舞台にした遠藤周作さんの長崎切支丹三部作と呼ばれています。
今回は、この作品の中から「女の一生 一部・キクの場合」をもとに長崎・浦上の街を観光案内をしてみたいと思います。
案内人はおなじみ、長崎の歴史・文学を知るならこのわたし!クロちゃんです(^^)

大浦天主堂・諏訪神社・聖徳寺、浦上街道を経て、浦上地区各所・思案橋・唐人屋敷の3時間程度の長崎観光になります。
時間があれば、この小説のラストシーンを飾る善長谷教会まで少し足を延ばして全体的に4時間程度の心に残る長崎観光はいかがでしょうか?
「女の一生(一部)」は、2016年に世界遺産登録を目指している「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」と関連の深い作品となっています。

(1)スタートは大浦天主堂

大浦天主堂が完成した元治元(1864年12月29日)は、激動の年です。
同年、2月23日~4月4日まで、勝海舟と坂本龍馬も下関事件の件で長崎出張中。7月には、「蛤御門(はまぐりごもん)の変」がおきる。
天主堂献堂式の盛儀に、長崎奉行が招待に応ぜず、市民の参加さえ妨げた。
天主堂門前には長崎奉行所役人がつめて参観人の挙動に目を光らせていた。
1865年3月17日、金曜日の昼下がり、プチジャン神父との歴史的な出来事は、パリ外国宣教会日本管区長として
横浜にいたジュラール神父にあてた3月18日付の手紙で報告されている。
この出来事から今年の3月17日で信徒発見150年になる。

※この小説の展開のスタートである南蛮寺「大浦天主堂」、
女の一生(1部)「プチジャン神父に心の内を打ち明けるイザベリナ杉本ゆり」の信徒発見の舞台。

※この小説のラストシーンで、雪の舞う大浦の南蛮寺(大浦天主堂)に続く坂道を、
ようやく上りつめ、力尽き「マリア像」の前でキクは短い生涯を終える。

(2)プチジャン神父と浦上の切支丹が待ち合わせをした諏訪神社

今も諏訪町の名が残る長照寺付近にあった諏訪社、長崎県庁がある江戸町付近にあった。
森崎大権現、そして東小島の正覚寺付近にあった住吉大明神。
戦国時代、キリスト教領地(イエズス会領)となった長崎では寺社は全て焼き払われなくなっていた。
そんな中、寛永2年(1625年)、佐賀唐津の修験者である初代宮司青山賢清(ケンセイ)が
この三社の御神体を譲り受け、西山郷圓山(マルヤマ)「現在の松森神社」に諏訪神社を再建した。

※プチジャン神父と清吉が浦上村に初めて行く前に待ち合わせをした諏訪神社の長坂。

(3)浦上一帯の檀那寺だった聖徳寺

寛永3年(1626年)、稲佐の悟真寺の開祖聖誉の弟子、専誉が建てた浄土宗の寺院で、
長崎港と浦上との間に突き出た丘陵の先端に位置し、昔は浦上の奥深く浜口町辺りまで
海水が入っていたので、港湾一帯を見渡す絶景の地だった。
長崎と浦上の間に位置し、浦上村の葬式には、聖徳寺の和尚さんを呼んできて葬式を行っていた。

※この小説に登場する2人の娘を紹介すると…
2人が生まれたのが幕末で、家はそれぞれ長崎に隣接する浦上村馬込郷の農家だった。
長崎の奉行所や聖徳寺の和尚さまは彼女たちの戸籍を
「馬込郷の茂平の娘ミツ、同じく新吉の娘キク」
と書きこんだ。 聖徳寺はこの一帯の檀那寺だった。

(4)一本柱鳥居や被ばくの大クスが見られる浦上街道

山王神社の二の鳥居(一本柱鳥居)と「福山雅治さん」の歌でもご存じの方も多いクスノキ。
被ばくの大楠木、樹齢500年以上で幹回りが右の木が約8.6m、左の木が6.6m。
環境省選定「日本の音百選」にも選ばれています。

※このあたりから浦上天主堂までが浦上村馬込郷でキクが小さい頃から遊んだ場所になる。
浦上村馬込郷は、切支丹の村ではなかった。

(5)江戸時代は大きな庄屋があった浦上天主堂

現在、浦上天主堂が建つこの場所には、江戸時代「高谷家」という大きな庄屋があり、
上の写真にある石垣は、その当時の名残です。
江戸時代、浦上村では、この場所でかの有名な「踏み絵」の行事が行われていました。

※浦上天主堂の傍には小川が今も流れています。
この川から先が「クロ」の住む切支丹の村で、「中野郷・本原郷・家野郷」になります。
「清吉」は、この切支丹の村、「中野郷」から長崎へ浦上街道を通り行商に行き「キク」と出会ったのである。

(6)浦上の秘密聖堂のひとつ聖フランシスコ・ザベリオ堂跡

プチジャン神父が夜な夜な教理を教えに来ていた「隠れ聖堂」のひとつ。
江戸時代、このような隠れ聖堂が、浦上村には4箇所存在していた。

(7)浦上長方屋敷跡に建つ如己堂

永井隆博士でみなさんもご存じの「如己堂」。
この場所は、江戸時代切支丹のリーダーを務めた「長方屋敷」が存在した。
写真は、永井隆博士の出身地の島根県の桜「御衣黄(ギョイコウ)」という緑色の花びらを咲かす
珍しい桜の木が植えられてあります。
(2015年4月4日撮影)

(8)丸山の料亭花月

江戸時代、花街だった丸山。
写真は、「坂本龍馬」の刀傷が残るといわれている「史跡料亭・花月」です。
長崎の卓袱料理・伝統の味を現代に受け継いでおり、おもてなし・接待に重宝されています。

※小説の中でのイメージが把握できる場所だと思います。 (p_-)

(9)唐人屋敷の天后堂

江戸時代は、「唐人屋敷」だった場所で、その敷地内に建つ「天后堂(テンゴウドウ)」。
この写真以外にも「土神堂(ドジンドウ)」や「観音堂(カンノンドウ)」も当時を感じる事ができる。

※小説の中でのイメージが把握できる場所だと思います。 (p_-)

(10)キクの短い生涯に花を添える善長谷教会

遠藤周作さんは、この小説の取材のとき、
この場所に行ったあとすごく上機嫌だったらしいです。
長崎で行き付けのすし屋さんで
「今日はおもしろいものを見てきたよ。君も一度行ってみたまえ」と、終始ニコニコ顔だったという。
キラキラと光る長崎港を望める場所で、キクの墓にふさわしい場所です。
遠藤周作さんの繊細な心に触れることの出来る場所です。
(クロちゃんおすすめスポット!!! (^^)/)