長崎検番です。
現在は17名の芸妓が所属しているのみですが、今もなお花街の伝統を守っています。
最盛期には1443名もの遊女がおり、日本の三大遊郭と言われた界隈で坂本龍馬や岩崎弥太郎なども豪遊していました。
丸山遊郭は売春防止法が制定されたことにより、この法律に尽力した神近市子のお膝元ということもあり真っ先に無くなりましたが、長崎検番や料亭花月、青柳などは当時の面影を垣間見ることができます。



長崎七不思議の一つ、「寺も無いのに大徳寺」の大徳寺公園です。
実際にはお寺も5年間程あったのですが元々平地の少ない長崎、時代と共にその姿を変えていったようです。
例えば英語教師として雇われたフルベッキが住んでいた場所です。
フルベッキは宣教師として来日したのですが、当時はまだキリスト教の活動が出来ませんでした。しかし、その後の日本を形づくる多くの日本人達を輩出し、岩倉具視使節団の派遣を計画、提言しました。
結果的に明治政府の偉人たちが世界を見て廻った事により、世界中でキリスト教を迫害している野蛮な国だと非難され続け、このままではとても近代国際の仲間入りなど出来ないと感じた政府がキリスト教を容認する様になり、フルベッキ来日当初からの目的も達成されました。
明治初めの日本は、天皇を中心とする神道国家を形成しようと考えていたのでキリスト教は江戸幕府より苛烈に取締りました。今ある日本はお寺、神社、教会なんでもありの自由な国です。
その自由な国造りの一端をフルベッキが担ったのであり、もっとクローズアップされて良い偉人の一人であると思っております。



この地には小島養成所もありました。
小島養成所は近代医学の発祥の地でもあり長崎大学の前身でもあります。
ここで教鞭を執っていたポンペの教えは封建社会の日本とは全く違うもので、医師にとって貧富、上下の差別はなくただ病人があるだけだということを身をもって実践し教えていました。
「ひとたびこの職業を選んだ以上もはや医師は自分自身のものではなく病める人のものである」
この言葉は長崎大学医学部の校是になっています。また教え子たちにより西洋医学が定着したので近代西洋医学の父と呼ばれています。



この地で忘れてはならないのが老舗菊水の大徳寺焼餅です。
現在でも中のあんこは薪で炊いて、昔の味を保っています。注文してから焼き始めるので、とても香ばしい匂いがしてその場で食べないと収まらない焼餅です。




梅園身代わり天満宮です。
こちらは吉永小百合主演の映画「ながさきぶらぶら節」ゆかりの地です。
ここに梅塚があり、自分達で食べた梅の種を天神様と呼び芸者や遊女が、自分達の生活に苦労が無いをお願いしていました。また痛い所を撫でると治る撫で牛や、水飴を狛犬に含ませると歯痛を治す狛犬、ボケ封じ撫で牛などもあります。ここに来ただけで色々な厄から守ってくれそうな天満宮です。